とある郊外の共同墓地、俺はその中の一つに、花をそえた。
すでに、あれから七年も経っていると言うのに、今だ後悔の念が俺を苛む。
俺は立ったまま、手を合わせた。
二人の冥福を祈るために。
二人と言っても、君寧明人とタケオではない。もちろん、あの二人の墓参りは毎年行っているが、今日は違う。
正直、ここの墓参りは色々な想いから、来るのを憚られるが、それでも、重い足を引きずって俺は手を合わせにやって来る。
後悔の念が足枷をし、そして足を向かわせるのだ。
「...なんつーか、さみしいな...」
俺は、一人呟いた。
墓には、俺の供えた花以外は何も無い。
もう七年間、俺の供えた物以外は何も無い。
「そうは思わないか?詩女、」
俺はそう言って、横に視線を向けた。
俺の横、少し離れた場所に、七年前よりほんの少し大人になった、渡詩女が立っていた。
け
「ほんの少しって件が、すごく気になるんだけど?」
短く揃えた後ろ髪を払いながら、気取って見せた。たしかに、見える所は成長したのかもしれない。
「...少しだろ?高一の時から胸の大きさ、あんまり変わってないじゃん。」
「うっ、そんな、つまんない事どーでもいいでしょ!」
「そうだな、つまんない事だから、この話は終いな。」
「ううーーっ」
恨みがましく睨んで、歯ぎしりしている。やっぱり変ったのは見える所だけだ。見えない所、つまり心は、23才になっても子供のままだ。
俺は、微笑のまま膝をおって身を屈めた。正面から雪之絵の墓を見つめる。
人の事は言えない、俺自身もあの頃のままだ。今だに立ち往生して進めないでいる。
この墓には、雪之絵と、もう一人の魂が眠っている。それが、殺人鬼と化した雪之絵に対し、後悔と、謝罪の念を持たねばならない理由である。
少し、あの時の事を説明しておこう。
七年前のあの時、
詩女が屋上に向かい、雪之絵が後を追った。そして俺も、血の溢れた脇腹を押さえて二人の後を追った。
実際、この時の俺の走りは歩みに毛が生えた程度の物で、雪之絵はおろか詩女よりも遅かっただろう。
体重を何倍にも感じ、詩女の無事を願いながら屋上に何とかたどり着いた俺は、考えてもみない二人の姿をこの目に止めた。
屋上の縁に立つ詩女と、そのすぐ前で、うずくまっている雪之絵。
俺はその場で立ち尽くした。もしかしたら詩女が蹴りでも入れたのだろうか、などと、とんちんかんな事を、その時は本気で考えた。
しかし、俺が来た事に気が付いた詩女が、「知らない、知らない、」と言った風に頭を振って見せる。ついでに蟹歩きで雪之絵の側から離れはじめていた。
『よく解らないが、とにかくチャンス』そう考えた俺は走り出し、金網を乗り越えようと手をかけた。
静まり返った屋上に、ガチャンと金網が音を立てる。
それに反応した雪之絵が、俺に向けて顔を上げた。
俺は金網に手をかけたまま、動きを止めた。この時の雪之絵の表情が俺の動きを止めた。
雪之絵の表情、それは、それまでのブチ切れた険のある物ではなく、再会の日の夕日の中で、俺に好きだと言ったあの時の辛く悲しそうな顔だった。
いや、切羽つまっている感じはあの時より遥かに強い。
なぜ今そんな顔をする?
今は詩女を助けるのが先決、それが分かっていながら、俺は動けなくなっていた。
しばしの沈黙の中、二人は見つめ合った。
目は口ほどに物を言う。それは本当だ、次の瞬間、俺は考えるより先に声を上げていた。
「やめろ!!」
だが、俺の叫びに雪之絵は止まらなかった。
俺を見たまま、雪之絵は飛んだのだ。
詩女の向こう側、文字通り、奈落の底に向けて。
詩女が理解出来ずにその姿を見つめるその横で、雪之絵は、姿が見えなくなるまで俺を見続けていた。
その目は、もしかしたら、涙が゜流れていたのかもしれない。
そんな悲しい表情のまま、雪之絵はいなくなった。
屋上に立ち尽くす俺と詩女の耳に、ほんの少し後、グチャリ、という無残な音が聞こえた。
その後、訳が解らないまま俺はぶっ倒れ、生死をさ迷う事になるが、この辺の件は飛ばす。どうでもいい事だ。
目を覚ました後、知らない人から伝えられた。
雪之絵真紀のお腹に子供がいた、と。
再会の日の夜のあの時だ、十中八九大当たりと笑っていたが本当だったわけだ。
「帰るか。」
俺は雪之絵の墓から視線を落とし、立ち上がった。
「ん、」
詩女が俺の腕に自分の腕を絡める。
「おいおい、祟られるぞ。」
「...そうね、あの人ならありうるわね、後にしましょ。」
本当に顔を青ざめて、俺から手を離す。
俺は苦笑して歩き出し、詩女も俺の右側をついて進んだ。
あの時の事は、この詩女とよく話す。
特に屋上で”つわり”のため蹲っていた雪之絵が、間違いなく初めて気が付いた自分の妊娠に何を考え、どういった心理状態で自ら死を選んだのか、と言う事を。
その時の事を詩女はこう言う。
「あの時自分はどうするか、いろんな選択肢が、ぐるぐる回っていたんだと思うよ。まるでルーレットみたいにね。
そのまま考え続ければ、その中の一番比重の重い選択肢が選ばれたんだと思う。でも、京次が現れて強制的にルーレットが止められた。
その時、偶然、頭の中にあった選択肢、それが”自殺”だったんじゃないかな。」
その後詩女は、
「まー、雪之絵真紀の事だから、その選択肢の重さなんて本当は選ばれるはずのない軽い物だったんだと思うけどね。あのまま考え続けていたら、『私を殺して、京次殺して、子供なんて下ろせばいいや』なんてのが残ったんでしょーね。」と、言っていた。
大幅において正しいと思う。ただ一つを除いて。
俺は、雪之絵にとって、自殺の選択肢は軽くても、我が子との心中の選択肢は重いと思っている。
俺は一つ思い出した事がある。遥か昔、雪之絵が”忙しい両親とほとんど会った事が無い、いつか幸せな家庭がほしい、”そんな事を言っていた事を。
本当に雪之絵の両親は忙しくて娘に会わなかったのだろうか。それは、俺しか訪れない墓を見て確信に至る。
雪之絵真紀は、誰にも愛されていなかったのだ。
誰にも愛された事がなく、その愛に飢えながらも、愛というものが理解出来ず、欲しがり、あがいて、空回りしていたのだと、今更に思うのである。
そんな風に思うようになってから、俺は夢を見るようになった。
雪之絵真紀が赤子を幸せそうに抱いている夢。
その幸せそうな笑顔は、生前の雪之絵からは一度も見た事の無い物だった。いや、俺の前だけではない、十六年の一生の内、雪之絵がそんな笑顔を浮かべた事は皆無だったと確信持って言える。
そして、その笑顔を雪之絵に与えられる可能性があったのは、俺だけであったと、後悔の念となって俺の心に重く圧し掛かり、雪之絵の事をもっと理解していれば、あれほど忌み嫌う事はなかったと、そう思うのである。
そうすれば、君寧明人もタケオも死ぬ事はなく、雪之絵も...
ギュッ
「ん?」
いきなり、詩女が俺の手を握った。
「どうした?」
「...別に、」
詩女は不機嫌そうに呟いて、視線を合わせようとしなかったが、繋いだ手は離そうとしなかった。
女のカンと言うやつだな、俺が雪之絵の事を考えて沈んでいるのを看破して、何かしないと気がすまなかったと言う感じか。
「.....」
本当は分かっているんだ。
夢の中の雪之絵の笑顔は、誰もが思い描く、ささやかな幸せというものを手に入れた者だけが得る事の出来る至高の笑顔だと言う事。
そして、雪之絵ではなく、詩女を好きになった俺が、その笑顔を雪之絵に与えようなどとは、思い上がりも甚だしいと言う事を。
そして、もう一つ、
この事で、俺の身代わりに死のうとまでした詩女をほったらかしにするなどという愚行は、絶対に許されないのだと言う事も。
だから伝える、
詩女に、今ここで、
「...もう少し待っていてくれ、その内、プロポーズするから。」
...なんとも往生際の悪い俺の言葉、自分自身呆れ返る。婚約と言うのは知っているが、婚約の約束など聞いたこともない。
だが、詩女は、小さく「もう、」と呟いた後、軽く俺に口付けをした。
そして笑顔で見つめて、
「言っとくけどね、私、ホントはすごいモテるんだよ?会社で一番人気でいっつも誘われるけど京次がいるからみーんな断っているんだからね?同僚の娘からは、すましやがって!とか言われても我慢してんだよ?京次って私の事ホントに好きなのかなー?って疑問に思っても、自分に京次を裏切ったらダメって言い聞かせてるんだよ?ここん所上司がしつこく誘って来て何とか断ってるけど、その内、断りきれなくて食事とか行っちゃうかも知れないよ?そしたら酔っちゃって変な所に連れ込まれたりするかも知れないよ?わかってる?」
............はい
「とりあえず、海行こう。」
「海?なんで?」
「プロポーズする場所の定番だろ?」
「....うん!!」
この時の詩女の笑顔は、夢の中の雪之絵の笑顔に少しだけ似ている気がした。
゜
おしまい。せせ
む