階段を上がり、屋上へと出た俺は、制服が汚れるのも構わず、ど真ん中のコンクリートの上に寝転がった。
今日の様に天気がいい日は気分が良くなるのでよくやるのだが、今回はそうはいかなかった。
ーー雪之絵真紀、小学校の頃、俺を犯しぬいた女。
この町に引っ越して以来、一度も会う事のなかった。二度と会いたくなかった女だ。
「ここに居たんだ。」
唐突に頭上から女の声が聞こえた。聞き覚えの有りすぎるその声、詩女だ。
俺は左手首のアナログ時計に目をやる。5時間目半ば、と言った所だ。
「抜け出して来たのか?悪いやつめ。」
「あなたほどじゃないわ。」
詩女は笑顔でそう返したが、ほどなく表情が曇る。
「...知り合いだったんだ、雪之絵さんと。」
「ああ。」
「綺麗な人だね。」
「ああ。」
「泣いてたよ雪之絵さん。クラスの男子生徒総出で慰めてたけど。」
「ああ。」
あまり語りたくないといった気分を言葉に込めた俺に対し、詩女は少し躊躇した様だったが、それでも言葉は止めなかった。
「彼女と、何かあったの?」
詩女の視線に俺の視線が交わる。
その目には、拒絶される恐怖と、引く事の出来ない意志の強さがあった。
俺は苦笑して立ち上がると、服についたホコリを手で払う。
「俺はイジメられてたんだよ、雪之絵真紀に。随分前の話だけどな。」
自嘲的に呟いた俺に、詩女は目を見開いた。
「ウソ!京次が!?」
「本当さ、雪之絵にとっては”好きな子にイジワルする心境”だったんだろうがな。」
しかし驚くのも無理は無い。今の俺を知る者なら皆そう思うだろう。
「俺はガキの頃、弱虫でな、そんな自分がイヤで...」
ーーーひどいよ。
「それがいやで強くなったんだ。」
どうやら詩女には衝撃の事実だった様だ。視線を泳がした後、考え込むように俯いてしまった。
さすがにイメージは狂ったろうな。
「でもさ、昔の話じゃない?彼女と少し話したけど大人しい娘だったよ。」
「ああ、そうだな。」
それは俺も感じた。
ガキの頃の雪之絵と、肩を振るわせて泣いていた今の雪之絵、何もかも全てが違っていた。
もちろん演技かもしれないが。
でも、もしかして雪之絵も変わったのだろうか、俺が変わったように、彼女も変わったのだろうか。
そう、思いを巡らせていると、詩女が自分の髪をいじりながら伏せ目がちに聞いて来た。
「京次、あんな感じのが好きなの?」
一瞬惚けた俺だったが、詩女の言いたい事はすぐに解った。
清楚可憐なイメージの娘が好みなのか?自分は俺に合わせて、こんな格好をしている、これは馬鹿な努力なのか?そう、聞いているのだ。
俺は そんな詩女を見ていて少しだけ心が和むのを感じた。
「いや、そうでもないな。」
俺は笑っていた。 自然に笑えた。
詩女は 俺の顔を見ていて真っ赤になって俯いてしまった。
なにか、いつに無い雰囲気を感じる、俺には苦手な雰囲気だ。それを変えようとして雪之絵に話を戻す。
「でも何だな、雪之絵が好きだったのは小学校の頃の俺だ。今の俺は変わりすぎたからな、それを知れば俺に興味なくすかもな。」
ふざけ半分でそう言った俺だったが、それに対して詩女は、真面目な顔を正面から向ける。
「私、昔の京次の事は全然知らないけど、今の京次は絶対素敵だよ。」
詩女は俺を見据えて放さない。言葉を失って立ちつくす俺。
話は変わらなかった。雰囲気も、元来苦手なこの感じ。でも、なぜか今はそうでもない。
いや、むしろ
「雪之絵と話してみるよ。」
むしろ気分がいい、そう思いながら呟いていた。
「え、」
詩女が眉をひそめる。不安に捕らわれている。
俺は笑顔でこう続けた。
「決着をつけてくる、俺は雪之絵が嫌いだ。」
その後、俺が教室へ戻ったのは、6時間目の授業もとっくに終わった後の事だった。
雪之絵は、教室の真ん中の席にちょこんと座り、身じろぎ一つせず待っていた。
待っているのは俺だろう。
俺は側まで歩みより、立ち止まった。
雪之絵はおもむろに立ち上がると、「話があるの、一緒に帰っていい?」 そう言った。
俺は頷く事で答えに返した。