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アケミがカズ子を安心させようとして言った、この言葉。 しかし、それを聞いたカズ子は、胸を押さえて膝から崩れ落ちる。
そうだ。
確かに今日なんて、アケミの思う『もっと辛い事。』に比べれば、そう言えるかも知れない。
元々気丈で強気なアケミが、過去に二回だけ、人前で涙を流した事がある。
そして、それは両方とも図らずも、カズ子が側にいた。
の
ま
その頃、カズ子はまだ中学校入学したてで、毎日を当たり前のように楽しく過ごしていた。
その日も、春の日差しが暖かく、元々暗い感じのする鳳仙家の廊下が珍しく美しく見えている。 そんな普通の一日だった。
学校から帰って来たカズ子は、屋敷の玄関で兄の鳳仙圭を見つけて、新しい学校の話を聞いてもらおうと捕まえる。
当時、カズ子は、兄を理想の人間であると信じていた。
兄と話をするのがとても楽しく、どうでも良い事でも、何でも話した。
「あのねっ、今日ね...」
『お兄ちゃんが言った様に、雪之絵 命って子に声を掛けたよ。』
そう言おうとした時、後ろの玄関の扉が吹き飛ぶ。
木材とはいえ、入り口を守る頑丈な扉が木っ端微塵になって吹き飛んだのだ。 何事かと、身を固くしたカズ子が振り返ると、そこには見知った人物が立っていた。
「...妊娠したわよ。」
その言葉を聞いた時、妊娠の相手が兄の鳳仙圭だと思ったカズ子は、反射的に兄の顔を見つめていた。
「 散々、色んな奴等にオモチャにされて!挙げ句に何よこれは!!?
誰の子供だか分かんないわよ!!」
違った。
違ったが、アケミの言葉をそのまま鵜呑みにする事は出来なかった。 カズ子の今生きている現実とは、幾らなんでも会話の内容が掛け離れ過ぎている。
あっ、
決心とも反抗とも取れるその言葉。
その口調同様、強い意志が感じられた。
青ざめるカズ子を余所に、ただ笑っているだけの鳳仙圭。
初めて生まれた静寂の中。 鳳仙圭は、小さくクスッと笑った後、起伏のない口調で答えた。