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次の日。俺は少女の家の前に立っていた。
だが、あいつはいない。あいつの家族も同様だ。
ドアには一枚のメモ用紙が貼り付けてあり、そこには幼い感じがする英語が書き綴られていた。
要約するとこうだ。
『お兄ちゃん、ごめんね。お仕事で遠くに行かなきゃいけないんだ。だから、今度また遊ぼうね。バイバイ。』
「……」
すでに引き払われた家を後にした俺は、懐から出したタバコを口に咥えた。
「バイバイ…か。」
吹かした煙が空へと昇っていくのを見上げながら、俺はどこか脱力していくのを感じていた。
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「…………」
戦いの怒号が響いている。
そこで、ようやく自分が白昼夢を見ていた事に気付いた。
(白昼夢…だと。俺らしくもないな。)
周りでは、陸刀のヒットマン達と高森夕矢が、エデンの操る死体相手に戦いを繰り広げている最中だった。俺はそこから少し離れた場所にいるため、戦いには参加していない。
俺が呆けていた時間は10秒にも満たないだろう。とはいえ、ここは戦場だ。いつ危険が襲い掛かってくるか分からないんだ。
俺はそれほどまでに、周りの連中を信頼していたか?それは無い。俺は誰も信頼しない。
見たところ、こいつらは信頼はおろか、信用するにも心許無い連中だぜ。ま、死体相手になら問題は無いんだが…な。
問題なのは、先ほどの化け物。あれを相手にするには不充分だ。奴はこちらを見ることなく、気配だけで銃弾を交わせる……そういうレベルの敵だ。そいつがまだ近くに潜んでいる。それを考えたら10秒足らずの空白は、大きすぎる油断といえるだろう。
(何で今更あんな昔の事を…)
俺自身、今の今まで忘れていた出来事だ。
「こらー、そこ!」
俺の耳に届いた声は、気味の悪い子供……エデン・マルキーニのものだった。
「……」
「さっきから無視してないで、私のお友達と遊ぼうよー!」
「……!!?」
そのセリフと共に、エデン・マルキーニと白昼夢の少女の顔が重なった。
「まさか…な。」
過去の少女と、今目の前にいる少女。あいつらが同一人物である証拠など無い。例えそうであったとしても、その事実に意味など無い。
ただ思う。あの時少女が言っていた「遊び」とはそういう意味ではなかったのか…と。もしそうだったとしたら、あの時あいつの招待を受けて、あの家が引き払われていなかったとしたら、俺は果たしてこの場にいただろうか…
「…いたかもな。ただし、死体としてだが。」
思わず苦笑いがもれる。
今この場でなら、あの日の約束が果たせるのかもしれない。「少女」と「お兄ちゃん」と「お友達」と一緒に「遊ぶ」という約束が。
…だが、それは出来ない。
優先順位というものがある。2年前に数時間会っただけの少女との約束と、自分の家族と信念。比べるべくも無い事だ。
もはや俺に興味が失せたかのように、戦いに目を向けるエデン・マルキーニ。
「悪いな。約束は果たせそうにねーよ。」
。
。
。
俺は拳銃を構えていた。
銃口の先にいるのは一人の少女。
あの日、少女を捕らえていた奴に向けた銃口。今や銃口が狙っているのは少女……エデン・マルキーニだ。
それがどうした。俺には迷いも躊躇いも無い。
確かに俺が今持っている拳銃の弾薬は、実弾とはとてもいえない代物だ。だが、これが実弾だったとしても、俺は迷ったりはしないだろう。
俺がこの拳銃の引き金を引く事で、少女は絶望する。自分が撃たれた事実を。
俺がこの拳銃の引き金を引く事で、少女の父親は絶望する。娘を守りきれなかった事を。
一つの家族に絶望を与える。
だが、もともとこの家族に希望なんてあったんだろうか。
どこまでも、希望を演じ続ける家族。
そんな仮初めの希望に、終結を告げる一発の弾丸。
それは紛れも無く「罪」だ。俺が背負うべき「罪」だ。
今の俺には、その覚悟がある。
俺には迷いも躊躇いも無い。
ただ、最初に少女に向けて撃った拳銃よりも少し、ほんの少しだけ引き金が重く感じた。
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そして、俺は「罪」という名の引き金を引いた。
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「これで貴様も犬死にだ。」
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……The End