9second 遠い約束

(やばい…ここで気を失っちまったら、何にもならない……しっかりしろ!くそぉ!)

 …意識がハッキリしてきたぞ。俺は皆月貴時、母は皆月詩女、姉は雪之絵命、父はヘボ親父。よし、大丈夫だ…

 なんだか、耳障りな雑音が近付いてきた。

 俺の目の前に、大きな青い瞳がある。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 あの少女だった。

「…何…やってる?」

「エヘヘー。お兄ちゃんを見てるんだよ。生きててよかったね。まあ死んでたら死んでたで、私が…」

「大丈夫なわけないだろ。俺の、腕が………ある…な。」

 千切れたかと思ったが、どうやら発砲の衝撃で腕の感覚がなくなっていただけみたいだな。

 少し右腕を上げてみると、肩のあたりがズキンと痛んだ。

「生きてるし、腕は動く…、まあ上出来か…」

 ところで、さっきから耳障りな音が聞こえてくるな…いったいなんだ…

 俺は周囲の状況を確認しようと立ち上がった時に、その雑音の正体を知った。

「ぅ…ゔぁあぁぁ…ぎ…ぐぎゃぁ…、…い…痛えよぉお…がは!…ごぼ!…」

 蹲って苦しんでいる、ヘルカッターだった。どうやら、こいつも生きていたようだな。

 とはいえ、奴の右肩は大きく抉れるように弾け飛んでいた。おそらく、肩甲骨も砕けてしまってるだろう。未だに傷口から血が噴きだして、周囲を紅く染めている。

 どうやら俺の撃ったカスール弾は、ヘルカッターの右肩を僅かに掠めただけらしい。だが、掠めただけでこの破壊力だ。今更ながら、自分の持っている武器の恐ろしさを再認識した。

 俺はスーパー・レッドホークをまじまじと見つめると、硝煙を上げているその凶器を懐にしまった。

 俺が見下ろしている事に気がついたんだろう。ヘルカッターが涙を浮かべながら、俺を見上げる。

「ひっ!…ぎ!…た…助けてくれぁ。…なぁ、頼むよ。こ…殺さないでくれぇえ!お願いだよ…」

 泣きながら命乞いをしてる男を見て、俺の心は急速に冷めていった。

 こいつは強かった。まともに1対1で勝負したとしても、俺に勝ち目は薄かっただろう。そう、目の前の情けない男よりも、俺は弱かったんだ。

 正直悔しいが、俺が今こうしていられるのは、あの少女の助力以外のなにものでもない。あいつがヘルカッターの動きを封じてくれなかったら、俺の攻撃は掠りもしなかったんだからな。

「た…頼むよぉ…、俺が…俺達が悪かったからさぁ…!」

 なおも命乞いを続ける奴に、

「もう、お前に興味はねーよ。勝手にしな。生きるも死ぬもお前の勝手だ…」

 そう言ってやると、奴は泣き笑いの表情で礼を言ってきた。

「た…助けてくれるのか…?さっきまで、殺そうとしていた俺を……お前、お前ってやつは…なんて…」

 感極まって項垂れると、奴は袖口から取り出したナイフを、左手に握って俺に向けた。

「なんて、甘いんだろうなぁ!!!」

 ナイフの刃が、俺の顔めがけて飛んできた。それをギリギリでかわした俺は、ヘルカッターの左手を思いっきり踏みつける。

「ぐ!ぎゃぁあぁぁ……!!」

「バレバレなんだよ。ま、スローイングナイフじゃなくてスペツナズナイフだったのは意外だったけどな…」

 そして、ミシミシと唸る手からどけた足を振り抜き、そのまま奴の顎を蹴り上げてやった。

「かは!!!」

 仰向けに倒れて白目をむく、今度こそ奴は意識を失ったようだ。

 周囲に倒れている集団に背を向けると、俺は…俺達はその場から離れた。あいつらが助かろうと、出血多量で死のうと、俺の知ったことじゃないさ。

「ところで、お前…さ。スタンガンでも隠し持ってるのか?」

 スラム街の出口へと向かいながら、俺は横を歩く少女に声を掛けた。

「ふぇ?なんで。」

 きょとんとした表情。こいつにはよく似合ってる…が、俺の質問がいまいち飲み込めていないようだ。

「あいつらを痺れさせてたろ。だから、お前が何か武器を、隠し持ってるんじゃないかと思ってな。違うのか?」

「えー、違うよー。私、武器なんて持ってないもん。」

「…そうなのか。」

 あまりよく見てなかったが、確かに武器を使ってるようには見えなかった。

「本当だよ。ほら、何も持ってないでしょ?」

 少女が袖口を捲くって見せる。

 あの様子だと隠し持ってるとすれば、袖口が一番怪しい。だが、こいつの言うとおり、そこには何もなかった。

「まだ疑ってるのー?何も隠してないよ、ほらほらー。」

 とうとう少女はスカートを捲り始めた。チラチラとショーツが見えてる。

「あー分かった分かった。もういい。今更、どうでもいい事だしな。」

「…あれ?お兄ちゃんサングラス外したんだー。」

 それこそ今更なセリフだ。

「ま、強制的に…な。」

 あれはもう使い物にならない。また新しいやつを買わないといけないな。

「ふーん…。でも、サングラスとった方がカッコイイよね。」

 こいつとしては、俺の素顔を素直に誉めてるのかもしれないが、ハッキリ言って嬉しくない。理由は…分かるだろう?

「なあ、お前さ……、おい……?」

 呼びかけに返事がない。おかしく思って隣を見ると、少女の姿がなかった。

「………あいつっ」

 後ろの方で蹲ってやがる。気分でも悪いのか…

「おい、どうした?おい。」

 声を掛けながら肩を揺すると、微かな返事が返ってきた。

「…ぅ〜ん、むにゃむにゃ……くー…」

 殺すぞ、こいつ。

「……」

 まあ、あれだな。こいつの体力が常人離れしてるって訳じゃなさそうだ。

 要するに子供なんだ。若さと勢いに任せて、自分の体力の限界も考えずに遊ぶ。遊ぶだけ遊んだら疲れてすぐ眠る。

 まさに、子供らしい子供。やはり、俺とは対照的だ。

「やれやれ…」

 俺は眠ってる少女を、背中におぶってやる。肩に鈍い痛みが走ったが、何とかそのまま歩き出した。

 まったく俺らしくない姿だ。だが、こいつをあのままスラム街で寝かせておくのはさすがに気が引けた。

「…おい。お前の家どこだよ。」

 当然のごとく、少女からの返事はない。

 とりあえず、あいつが俺をつけ始めたと思われる街の路地裏に向かって進む。俺の帰り道でもあるし、ちょうどいいだろう。

 背中で揺られる少女を感じながら、俺はふと思う。

(俺も物心つく前には、こうやっておんぶされてたのかな。母さんや…あの親父に…)

 あの親父が俺を……まったく、馬鹿な考えだったと思い、俺は頭を横に振った。だが、その考えを捨てようとすればするほど、あったかどうかも分からない親父との思い出が俺の頭をよぎる。

(いいかげんにしてくれ…!)

 だいたい親父におんぶされたからといって、それがなんだというんだ。今の俺には関係のないことだぜ。

「パパ…」

 背中から聞こえてきた声で、俺は我に返った。

「…パパの背中、あったかぃ…むにゃむにゃ……」

 どうやら少女の寝言のようだ。

「パパ…かよ。」

 もう少し寝かしとこうかと思ったが、さすがにそろそろ起こさないとな。もう場所は例の路地裏だ。俺がこいつの気配を初めて感じた…あそこだな。

「…う〜〜ん…と、私のお家はここだよー。」

 眠そうに欠伸をしながら少女が指差した先には、やや古そうな平屋の建物があった。

 ここは、路地裏近くの狭い住宅街。そんな中で、特に目立つ事もなさそうな家だ。

「ママー、ただいまー!」

 少女が元気よくドアを開けると、家の中から一人の女性が出てきた。おそらく、彼女が件の「ママ」だろう。
確かに美人だった。

 健康的な小麦色の肌に、燃えるような紅い髪。ターバンで右目を隠した神秘的な姿は、いかにもエキゾチックという言葉が似合いそうな雰囲気だ。ちなみに少女の言ったとおり、胸もでかかった。多分…母さんよりも…な。

「もう、こんな時間までどこで遊んでたの?あれほど遠くに行ってはいけないと、注意したでしょう。」

 少女を叱る母親の瞳は厳しくて、そして暖かい。

「えへ、ごめんなさーい。」

「まあ!そんなに服をボロボロにしちゃって。遊ぶにしたって、もう少し……あら、この子は?」

 その時、俺の存在に気付いた母親が、こちらを見つめてきた。

「…お、俺は…」

 なんと言ったものか。

「このお兄ちゃんにね、遊んでもらってたのー。すごく楽しかったんだよ。帰りもおんぶしてくれてね…」

 どうやら、少女が紹介(?)してくれたようだ。

「あらあら、この子の相手は大変だったでしょう。よかったら、家に寄っていかない?お茶くらいお出ししますよ。」

 清楚かつ色っぽい仕草で、母親が微笑みかけてくる。

「そうだよー。ね、そうしなよ。」

 手を引っ張ってくる少女を、引き離すと俺はその場に背を向けた。

「せっかくだけど、母さんが待ってるから…」

 右手を軽く上げてから、俺はホテルへと歩き出す。後ろでは、母親が頭を下げていた。そんな母親の横から、娘がとてとてと俺の方へ近付いてくる。

「ねーねー、明日も遊ぼーよ。明日だったら、私のお兄ちゃんやお友達もたくさん呼べるよー。ね?」

 少女は甘えた声で、俺におねだりしてきた。

「大勢で、ワイワイやるのは苦手なんだ。そのお兄ちゃんとやらに、遊んでもらうんだな…」

「え〜〜、…そんなぁ…」

 不満そうに唇を尖らせている少女の方を、まったく振り返らない俺だったが、

「明日…、もし時間が余ったら寄ってやる…」

 少女だけに聞こえるような声で呟いていた。

「うん!!約束だよ。一緒に遊ぶって!バイバーイ!」

 嬉しそうに答えると、少女は思いっきり手を振りながら家に戻っていった。

「……あ。そういえば、あいつの名前…訊いてなかったな。」

(ま、明日訊けばいいか…)

 そう思うと、すでに明日行く気になっている自分に正直驚きながら、俺はホテルに向かった。

「さて…と。」

 ジャケットの上からスーパー・レッドホークを撫でると、俺は真剣に返品を考え始めた。

 やはり、自分に使いこなせる代物でないと、武器としての意味はなさそうだ。せめて、片手で連発できる拳銃。改造するか自作するか、思案のしどころだった。

 ホテルの前では鬼…いや母さんが立っていて、俺は忘れかけていた恐怖に身を投じる事になった。

「…貴時!無事だったのね。…もう、母さん心配しちゃったじゃないの。」

「…ごめん。」

「と・こ・ろ・で。待ち合わせは何時って言ったか、ちゃんと覚えてる〜?」

 腕時計の針は、午後7時を大きく過ぎていた。

「…午後7時…だったっけ?」

 ブチッ!!

 あ、音が聞こえた。そうか、ブチ切れる音って耳に聞こえるものなんだな。

 …今夜は長くなりそうだ。


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