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―――『きょうのにっき』
きょうのお天気はハレ。でも、なんだかつまんない。
いつもだったらおうちで遊んでるんだけど、きょうは、お友だちの「ケンシンビ」なんだって。ママがそういってた。
だから、きょうはお友だちとは遊べないの。だから、つまんない。
ママは「ケンシン」でいそがしくって、わたしにかまっていられないんだってさ。
お兄ちゃんも「ケンシン」中。わたしはとってもとってもたいくつです。
だからね。ママに「お外で遊んできていーい?」ってきいたら、「とおくに行かなければ、いいわよ。」…だって。
わたしはお外にとび出した。だって、こんなにいいお天気なんだもん。おうちにいたんじゃもったいないよね。
でもね、やっぱり一人じゃつまんない。だれかといっしょに遊びたいよー。
わたしはだんだんおうちからはなれて行きました。ちょっとくらいなら大丈夫だよ…ね。
そしたらね、変わった男の子がいたんだ。
どこが変わってるんだろう?よくわかんないけど変わってる。そんな気がするの。
わたしはその男の子をおいかけました。
たまにこっちを向くけど、見つからないようにかくれちゃう。
なんだかそれが楽しくてずーっとおいかけてたら、その子はヘンテコなおうちに入って行っちゃった。
おうちから出てくるのをまってたんだけど、その子は出てこないみたい。
お庭に入ってみたんだけど、マドはぜーんぶ閉まってた。カーテンまでかかってるから中がどうなってるかわかんない。
もうかえろうかと思ってたら、男の子がおうちから出てきてくれたんだ。
わたしは男の子を、またおいかけはじめました。だけど、なんとなんとその子は消えちゃったんだ。まほーつかいだったのかな?ってかんがえてたら、お空から声がきこえてきました…
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「こっちだ…」
呆けた顔をして振り向いた少女を見下ろしながら、俺は建物のひさしの上から声をかけた。すでに懐から抜いた拳銃の照準は、そいつの胸に合わせていた。
「お前、誰だ。いったい何のつもりで…」
「わーー、すっごーい!いつの間に、そんなとこ上ったの〜?」
俺の質問は、少女の驚きにかき消された。
「……」
「ね〜ね〜、お兄ちゃんってひょっとして魔法使い?」
「…あのな…」
「私、魔法使いって初めて見たよ〜!」
「〜〜っ……」
俺はひさしの上から少女の目の前に飛び降りると、再び拳銃を向けた。
「おまえ、状況分かってるか。それとも、これが見えてないのか?」
「ふぇ?」
少女は片目を瞑りながら、銃口を覗き込んできた。
「んー?見えてるよ。これってピストルだよね〜。」
(おいおい…)
拳銃のセーフティは外してあるが、実はトリガーには指をかけてなかった。とはいえ、まさかこいつが、それを見て安全だと判断したわけじゃないだろう。となると、目の前の少女は無用心極まりない。
明らかに俺より年下の少女…幼女といった方が正しいのかもな。年齢は10歳にも満たないだろう。そいつは無邪気にスーパー・レッドホークの銃身をいじりまわしている。
俺は無言で、拳銃を少女から引っぺがした。
「あ〜…」
まるで、オモチャを取り上げられたガキのような瞳で、俺を見上げてくる。
(まったく…)
俺は懐に拳銃をしまいながら、先ほどしそこねた質問をする事にした。
「いったい何のつもりで俺の後をつけてきた?このスラム街に入る前から尾行してたろ。」
何度か感じていた背後の気配。その正体が、こんな年端もいかないようなガキとはな。だが、ただのガキにしては気配を消すのがうまかった。だから、用心はしていたんだが……、見た感じ、こいつはただのガキだ。
俺の質問に対して少女は、いかにも悪戯が見つかった時の子供の表情で、
「ありゃりゃ。お兄ちゃん、気付いてたんだ。エヘヘへー。」
と笑いながら、ペロッと舌を出した。
「質問に答えろよ…!」
拳銃はしまったが、それなりに凄みはきかせたつもりだった。なのに、このガキはそれを一向に解さず、
「うーんとね。お兄ちゃんに付いて行くのが、面白かったからだよー。お兄ちゃんが振り向いたら、私が隠れてさ…。こういうの、なんていうんだっけ。『鬼ごっこ』…じゃないし…。そうそう、たしか外国の遊びで『ボーさんが屁をこいた』って名前。違ったっけ?」
と答えながら、う〜んと首をひねっている。
(微妙に違うし、『ダルマさんが転んだ』の方にしとけよな…)
と思いながら、俺自身がこいつのペースに乱され始めてる事に気付く。
…なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。気配に敵意は感じなかったから、怪しいと思いながらもつけさせた。だが、目の前の少女は「敵意」どころか「好意」に満ちた瞳で、俺に微笑みかけてやがる。
一時はスラム街の悪ガキかとも思ったが、見る限りこの白人の少女は、スラム街とは結びつかない容姿をしていた。
美しい金色の髪をツインテールにして、青い瞳を無邪気に輝かせてる。あどけない表情は「汚れ」とかいった言葉とは無縁な印象だ。そして、少女が身に付けているピンク色の子供服は、上質なシルクではないかと見まごうほどに、品質の良さが窺える代物だった。
どこからどう見ても『上流階級のお嬢様』といった様子。百歩譲って『アットホームな家庭に育った、不自由を知らない少女』だ。つまるところ、この黒人スラムにこれ以上ないほどの不似合いな子供。
「…もういい。」
「へ…?」
うんざりだった。こんなガキ一人に、気を張り詰めていたなんてな。
「もういいから、どこへでも行けって言ってるんだよ…!!」
吐き捨てるようにそう言うと、俺は歩き出した…が、
「え〜〜、だめだよぉ〜〜!!」
という、素っ頓狂な声に呼び止められる事になった。
「…なんだと?」
首をひねって振り向くと、俺のジャケットの裾をガキが掴んでやがった。
「おい…、これは何のつもりだ。」
「だって、せっかく見つかったんだもん。今度は、ちゃんと一緒に遊ぼ〜よ!ね、ね!」
ジャケットの裾を振り回しながら、少女が力いっぱいおねだりしてくる。
「…ふ…ざけるな!俺は忙しいんだよ。今からホテルに戻らないと、鬼に殺されかねないんだからな!」
頭の中に角の生えた詩女の姿が浮かぶ。
『た〜か〜と〜き〜。京次だけじゃなくて、あんたまで母さんを捨てるのね!いいわよぉ。そっちがその気なら、私だってぇ……』
怖い。守るべき相手にやられては、笑うに笑えない。
「え!鬼!?」
驚いたように言う少女だが、そいつの次のセリフは、
「そうだ鬼ごっこ!お兄ちゃん、鬼ごっこしようよ〜!」
というものだった。
「なんでそうなる!」
「え、鬼ごっこ嫌いだった?じゃあかくれんぼ!」
「そういう問題かよ…」
「じゃあ鬼ごっこでいいよね。さっきは『ボーさんが屁をこいた』で私が見つかっちゃったから、私が鬼だよ〜。10数えるから、お兄ちゃんは逃げてね〜。」
まったく話を聞いてない…
「い〜ち、に〜い、さ〜ん……」
マジで数を数え始めた少女を尻目に、俺は走り出した。もちろん鬼ごっこをするためじゃない。このままあいつから離れるためだ。
「…じゅ〜う!じゃあ、追かけるよ〜。」
能天気な声がはるか後方で響いた。
「やれやれ…」
小走りで進む俺のすぐ後ろから、素早く何かが近付いてきた。
「あー、お兄ちゃん見つけたよー!」
「!!?」
例の少女だった。
。
結果から言うぜ。俺は鬼(少女)に捕まった。
当然、実力で逃げて捕まったわけじゃない。確かに本気じゃなかったとはいえ、もう追いつかれるつもりはない程度には走っていた俺に、追いついたあの少女の足の速さには正直驚いた。
だが、それからすぐに本気になって撒いてやった。足の速さでもそうだが、複雑な通りを迷いもなく進む俺の後をついてこれるほど、少女には方向感覚の鋭さが無かったようだ。
そして、俺はスラム街から離れた……というか、離れようとした。だが、あの馬鹿がまだ俺を探してるかと思うと足が止まっちまったんだ。
別に、あの少女には何の感情も抱きはしなかったさ。ただ、あいつが一人で俺を探し回る姿が母さんと重なっちまった。
いつもは気丈に振舞っているけど、心には弱い部分を持っている母さん。食事中に誰もいないはずの席を見て、寂しげな顔を見せる母さん。俺がガキの頃、遅くまで公園で遊んでいた時、心底心配しながら探しに来た母さん。
だから気付いたら、俺は少女のところに戻ってた。あいつは困ったようにキョロキョロと周りを見回していて、俺は「仕方ない」といった感じで声を掛けた。
「どうした。迷子にでもなったか?」
少女は俺の声にハッと振り向くと、タタターッと勢いよく走ってきて、俺に思いっきりしがみついた。
まるで、飼い主を見つけた子犬だな。なんだか、こいつが尻尾を振ってるように見えるぜ。
「つ〜かまっえた!今度はお兄ちゃんが鬼ね!!」
(やれやれだぜ…)
俺は少女の頭の上に手を置いて、半分呆れ顔だった。