7second 家族…そして

 貴時がまだ『Gun-Smith』にいた頃、黒人スラムの一角では怪しい集団が集まっていた。

 その、瓦礫の溜まり場のような場所にいる者達は、皆一様に若く、下は7〜8歳で上は17〜18歳くらいだろうか。人数は、20人を軽く超えている。下手をしたら、30人以上いるかもしれない。その中には、先ほど貴時が倒した男、ジョニーの姿もあった。

 ジョニーは冷や汗を額に浮かべながら、上目遣いに瓦礫の頂上を見つめている。そこに座っている痩せた人影は、口の端を歪めていやらしい笑みを浮かべていた。しかし、ジョニーは俯きながらその人物を見上げているため、表情は完全には読み取れない。ただ、口元の笑みと違って、瞳は笑ってなどいないようだ。

「………な…なぁ…」

「おぃ、ジョニー。」

 沈黙に耐えかねて口を開いたジョニーの言葉を、上方から降ってきた声が制した。その途端、ジョニーは大きな体を一瞬震わせた。

 その声の主は、さらに言葉を続ける。

「聞いたぜ。お前、獲物に返り討ちにあったそうじゃないか。」

「……!」

「他のチームの連中の前で、無様な姿さらしやがって。本当に、大したサブリーダーだぜ。」

「うぅ……、でもよ…リーダー…」

「言い訳はいいんだよ、ジョニー。事実なんだよな〜?」

「そ…それは…」

 その人物…リーダーは、決して大声で威圧したりはしない。だが、どこかネチネチと責めてくる。その、どこまでも冷たい声が響いた。

「しかも、お前を倒したっていうガキ。日本人らしいじゃないか。そうなんだろ?」

「あ…あんなのはラッキーパンチだよ。たまたま…」

「俺は、日本人なのかって聞いてるんだよ。お前、馬鹿か?」

「あぅ…」

 言葉に詰まったジョニーの横にいた、腰巾着の一人が口を開く。

「あの、本人は確かに日本人だと言っていました。その時ジョニーさんは、気絶しちゃってましたけど…」

「よ…余計なこと言うんじゃねえよ!」

 部下の言葉に、ジョニーが思わず激昂した。

「うるさいよ、ジョニー。」

「す…すまねぇ、リーダー。」

 大柄なジョニーが、痩せっぽっちのリーダーに怯える様は、どこか滑稽ですらあった。

「…で、お前らはそのまま情けなく戻ってきたってわけだ。」

 リーダーの矛先が、腰巾着達の方にも向けられる。

「す…すいません!…で、でも、そのガキはピストルを持ってまして…」

「ピストル…ねぇ。…それ、本物だったんだろうな?」

「へ?」

「日本じゃ、合法的にピストルを持つのは難しいんだよ。そいつが旅行者だとしたら、ひょっとしてモデルガンって可能性もあるだろ。…要するにハッタリさ。」

「そ…そう言われてみれば…」

 顔を見合わせて、頷きあう腰巾着達。

「てめえら!そんな事も確かめずに、びびって帰ってきやがったのか!」

 その時、意識を失っていた自分の事は棚に上げて、ジョニーが詰め寄る。

「もういいよ、ジョニー。ところで…」

 そこで、リーダーの笑みが消える。

「当然、そのガキの行方は掴んでるんだろうな。」

「ぅあ!そ…それは………なあ、おい!」

 ジョニーが、肘打ちで部下を促した。

「え!えと、一旦見失っちまったので、目下捜索中っす!」

「なるほど…ね!」

 ゴツッ!と鈍い音がした。

「あ…!」

 ジョニーが横を見ると、部下が額から血を流しながら、仰向けに悶絶していた。どうやら、リーダーが手元の瓦礫を投げつけたらしい。

「やれやれ。有能な連中が揃ってて、涙が出るほど嬉しくなるぜ。なあ、サブリーダー。」

 ヒュン!と空を切る音が聞こえた…と思ったら、ジョニーの両足の間にスローイングナイフが突き刺さっていた。そして、すでにリーダーの両手には、一振りずつナイフが握られている。下手な態度をとれば、今度こそそれはジョニーに突き刺さるだろう。

「ひ……!!」

「このまま終わらせるつもりじゃ…ないよなぁ?」

 音がしそうなほど歯を食いしばると、ジョニーは決意を瞳に宿して顔を上げた。

「当たり前だ…。『Bad Max』のサブリーダーの名にかけて、あのガキをぶっ倒す!」

「よし。それじゃあガキ発見の報告まで、もうちょっと詳しい話を聞かせてもらうとするか。だが、万が一発見できなかった時は…分かってるよな?」

 その言葉にジョニーは、苦々しい顔をして頷いた。


 俺は何度目かの溜め息を吐いた。

「そこのゴミ箱の後ろだ。出てこいよ。」

 俺の声に答えるようにして、ゴミ箱の影からヒョコッと現われた姿は、例の少女のものだった。
「エヘヘー、また見つかっちゃった。」

 そう言いながらペロッと舌を出して、こっちへ走り寄ってくる。

「まったく、俺はいったい何をやってるんだろうな…」

「かくれんぼだよー!」

 俺の独り言を聞きとめた少女が、にこやかに答えた。

(そういう意味じゃないんだがな…)

 いつのまにか『鬼ごっこ』から『かくれんぼ』になっているが、実はここに至るまで、すでにいくつか遊び方が変わっていた。『影ふみ』や『あっち向いてホイ』などだ。道具も少ないし、二人という人数から遊び方も限られる。

 しかし、こんな姿を家族が見たらなんと言うか。特に、親父には見られたくないぜ。

 母さんが見たら、

「まあ、貴時もようやく歳相応な友達と遊ぶようになったのね。」

 とか言って、微笑みそうだ。

 命姉さんなら、

「あれ、ひょっとして貴時のガールフレンド?やる〜。ヒューヒュー!」

 などと、からかわれる事請け合いだしな。

 親父の場合は……考えたくもない。

 なんだか頭が痛くなってきたぜ。そんな俺の気も知らず、少女は堂々と話し掛けてくる。

「じゃあ今度は私が鬼だね〜。30数えるから、お兄ちゃんは隠れてね。」

 また溜め息が出てきた。

「まだやるのか…」

「ひょっとして、かくれんぼは飽きちゃった?んとね〜、じゃあ今度はね〜…」

 呆れかえる俺に向かって少女は、唇に指を当てて考え始める。

「そうじゃない。」

「え?」

「もうそろそろ帰った方がいいんじゃないのか。お前、家族がいるんだろ?」

 まだ夕方には少し早いが、これ以上スラム街をうろつくのは面白くない。

「うん、いるよ。ママと、パパと、あとお兄ちゃんがいるんだよ!」

 自慢げに家族を紹介してやがる。そんな少女の様子に、少しだけ微笑ましくなりながらも俺は言葉を続けた。

「その家族が心配してるだろ?もう帰れよ。」

 そう言いながら、自嘲気味に笑う。

(よく言うぜ。母さんに心配をかけてるのは、俺の方かもしれないっていうのにな…)

 少女は近くのブロックに座り込むと、足をバタバタさせながら不満の意思をあらわにした。

「え〜、やだやだやだ。まだ明るいもん。お兄ちゃんと遊ぶ〜〜!ママだって、きっと許してくれるよ〜。」

 「ママ」という言葉が心に引っかかった。俺は、少女の横に腰をおろす。

「ママ…か。お前の母さん、優しいのか?」

 俺は自然と、そんな質問をしていた。

「うん、優しいよ〜。あ……」

 少女が言葉を詰まらせる。

「どうした?」

「エヘヘ…優しいんだけどね。たまに怒ると怖いんだ…」

 俺は一瞬呆けると、

「そっか…」

 と答えた。どこの家庭でも、母親というのはそういうものなのかもしれないな。

「この前もさぁ、ママの化粧品勝手につついてたら怒られちゃった。「あなたみたいな子供には、まだお化粧は必要ありません。十年早いわよ。」だってさ。」

 こいつは人差し指を立てながら、どうやら母親の声真似をしてるようだ。

 そういえば、母さんも出掛ける前には、念入りに化粧をしている。女のそういうところは、俺にはよく分からない。

「化粧ってのは、ある程度大人になってからするもんだろ?お前には必要ないってことだ。」

「えー、なんで?私だって綺麗になりたいよー。」

「つまり…だ。歳とったら皺とかシミとかできるだろ。それを隠すために、化粧してるんだよ…多分な。」

 母さんが聞いてたら、殺されかねない事言ってるな、俺。

「そっか〜。でも、お化粧なんてしなくても、ママ美人だよ?皺とかも無いし…」

「ふーん。お前の母さん、綺麗なのか…」

「うん!」

 母親が誉められるのが嬉しいみたいで、笑顔で答えてくる。ま、俺も母さんが誉められると、悪い気はしないけどな。

「とすると、お前は母親似かな…」

 別に他意はないぜ。ただ、この少女が客観的に見て「カワイイ」顔立ちをしてる事は、俺にも分かる。

「ほんとー?エヘヘ、嬉しいな!」

「ったく、知らないぜ。俺はお前の母親なんて、見た事無いんだからな。」

「大丈夫、本当に美人だよ。それにね…おっぱいも、すっごく大きいよ。」

 そのセリフに、思わず吹き出しそうになる。

「でも、私のおっぱいは大きくないんだ。う〜ん…」

 と言いながら、自分の洋服の胸の部分を引っ張り出した。

「ガキだからな。当たり前だ。」

 俺はそっけなく答える。

「うぅ〜〜…。ねえねえ、お兄ちゃんもおっきいおっぱいが好きなの?」

「…知るかよ。」

 実際、俺は女に興味はなかった。子供だからかもしれないが、この先大人になっても、女に興味を持つ保証は無い。

「ママに似てるんなら大きくなるかな〜。でもね、ママは私のことパパに似てるって言うんだよ。」

「そりゃ、災難だったな。」

「え〜、なんで?私、パパに似てるって言われるのも嬉しいよ〜。」

 屈託の無い笑顔ってのは、こういうのをいうんだろうな。天使の笑顔というのはオーバーだが、俺がこいつに逆らいきれない理由も分かるってもんだろ? 

「父親のこと、好きなのか?」

「うん。パパも、ママも、お兄ちゃんも、みーんな大好き!」

「そうなのか…」

 日本人の女ってのは成長すると、父親を敬遠する奴が多い。命姉さんはベッタリしすぎてるが、あれは親父を父親として見ていないからだろう。

 目の前の少女も、もう少ししたら父親を毛嫌いし始めるのかもな……俺みたいに…って、あのクソ親父とこいつの父親を一緒にしちゃ可哀想ってもんか。こんなに好かれてるんだ。こいつの父親は、本当に娘思いの人物なんだろう。

 見れば見るほど、こいつは俺とは対照的な存在だと思う。

 家族を無条件で受け入れる。

 家族を無条件で好きになる。

 家族を心の底から誇る事ができる。

…それが本当の家族ってものなら、俺にとっての家族はいったい…

 いや、そんな家族こそ不自然じゃないのか…

 家族ってのは、一番身近な他人だ。なんでもかんでも、無条件で分かり合えるのが家族なら、子を殺す親はいなくなるさ…、その逆もまた然りだ。

 こいつは不自然なまでに、家族の「理想」を表わしてる。

「まさか、まだこんな所でイチャついてやがるとはなぁ。」

 俺の思考は、野太い男の声に遮断された。

 顔を上げた俺の前方にいたのは、少し前にのしてやったあの男だった。名前は…なんと言ったか…もう忘れちまったがな…

(少し、油断しすぎたか…)

 周囲に気を配ると、ガラの悪そうな連中に取り囲まれていた。数は…20〜30人くらいはいそうだな。

「お兄ちゃんのお友達?」

 無邪気な表情で少女が俺に問いかけてくるが、それを無視して立ち上がる。

「……」

 例の男が、下卑た笑いを浮かべながら見下ろしてくる。身長差で仕方のないことなんだが、見下ろされるってのは気にいらないね。

「へへへ。何の用か、訊かねえのかよ?」

「想像はつく…」

「フン、少しは動じろよな。面白くねえ。それとも彼女の前だからって、かっこつけてんのか?」

「……」

「生意気なんだよ。すかしやがって。」

「……」

「てめえ日本人なんだってな。へへッ。」

(ベラベラとうるさい男だな。日本人なら何が面白いってんだ…)

 そう思いながらも、俺は周囲へ視線を流す。

「さっきから、なに黙ってんだ!」

「……」

「…びびって声も出ねえか。そりゃそうだよなぁ、これだけの人数だ。俺達『Bad Max』に喧嘩を売った事を、たっぷりと後悔させてやるぜ。」

 お約束というかなんというか、そいつは両手をボキボキと鳴らした。

「……」

「日本人に恥をかかされたとあっちゃ、『Bad Max』サブリーダー、ジョニー様の名折れなんでな。」

「……」

「経済大国だかなんだか知らねえが、日本人ってのは、生まれつき幸せな人生が約束された連中らしいじゃねえか。」

「……」

「見ろよ。周りの奴らを…。俺達はみんな、家族に捨てられたか、家族を失ったガキなんだよ。要するに孤児ってやつさ。お前みたいな日本人には、俺達の生きてきた境遇なんて分からねえだろうな。」

「………」

(こいつ、随分日本を毛嫌いしてるな。日本人には孤児がいないとでも思ってるのか…)

「俺達は家族に頼らずに、自分達の力で生きてきたんだよ!そんな俺が、日本人なんかに負けられねえんだ!家庭にすがって、家族に甘えて生きてるてめえらなんかによ!」

「…………」

(家族…。確かに俺は一人で生きてきたわけじゃない。だが、俺は絶対に強くなるんだ。親父を超えてやる。母さんを守ってみせる。そのためには……)

 ゴッ!

 鼻面に拳を打ち込まれた目の前の男が、後ろに弾け飛ぶ。

「甘えてばっかもいられねーんだよ!!」


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