8second Action!

 今、黒人スラムに一人の鬼がいた。

 およそ人の情など持ち合わせていないかのような、容赦の無い連続攻撃。

 年上だろうが年下だろうが関係ない。

 女だろうが男だろうが関係ない。

 顔面を打つ、打つ、打つ。それは「叩く」などという生易しいものではない。

 拳だ。まさに「殴る」という言葉がよく当てはまる。

 暴力の具現のような存在。その鬼の名を『皆月貴時』といった。

 『Bad Max』のメンバーの一人が、受身もとれずに倒れる。起き上がる気配はなさそうだが、貴時はそいつの頭部に強烈な蹴りを見舞う。

 すると、一度体をビクッと震わせてから、白目をむいて二度と動かなくなった。

「6人目…と。」

 貴時は倒した人数を、冷静に数えてるようだ。

 表情をまったく変えずに、暴力を振るい続ける貴時は、さすがは鬼(詩女)の息子であった。

 母・詩女の強烈な精神力と、父・京次の強力な戦闘力を受け継いだ息子・貴時。ある意味で最強最悪の存在である。

 くだらない日本人のガキ一人と高を括っていた連中は、いまやそんな貴時を恐怖混じりの瞳で見つめている。

「このクソガキが…。甘ちゃんの日本人のくせに、不意打ちとはやってくれるじゃねえか。」

 鼻血を拭きながら立ち上がったサブリーダー…ジョニーが貴時に近付いてくる。

「俺は、何の用か想像はつくって言ったよな。だったら、いつまでもくだらない事をグダグダ喋ってるお前が悪い。それとも、この国じゃ喧嘩にルールが必要か?」

 貴時の嘲るような態度に、怒ったジョニーが襲い掛かろうとするが…

「う!?」

 次の瞬間、ジョニーに向けられていたのはスーパー・レッドホークの銃口であった。

「…へ…へへへへ。」

 一瞬たじろいたジョニーであったが、その口元が笑みを作る。

「…何がおかしい。」

「へへへ。そのピストルは、はたして本物かな…って思ったんだよ。」

「なんだと。」

「てめえみたいな日本人旅行者が、気軽にピストルを持ち歩けるとは思えなくて…なぁ!!」

 再び貴時に急接近するジョニー。

「馬鹿!そいつは本物だ!!」

 どこからか響いた声に、ジョニーが突進を止めた時、すでに銃口が顔面に突きつけられていた。

「死ねよ…」

 貴時の非情な声が聞こえた。

「ヒィ!」

 クルッとピストルの向きが変わったかと思うと、グリップの底がジョニーの鼻面を強打した。直後、ジョニーは地面に倒れ、顔面を押さえて悶絶した。

「今日3回目の鼻面攻撃だ。裏拳、正拳、拳銃の打撃。これで完全に鼻骨粉砕骨折だな。」

「あちゃー、痛そー。」

 例の少女が、思わず自分の鼻を押さえた。

「お前、まだいたのか。とっとと帰れ……というのも無理な状況か…」

 二人は未だに数十人のジャンクキッズに囲まれていた。といっても、ジョニー達の様子を見て戦意が萎えつつあるようだ。

「なにやってる…」

 集団の奥から、静かな声が響く。

 その声にジャンクキッズが、びくつきながら注目する。

「相手はたったの二人だ。ピストルにびびってるような奴は…」

 ヒュン!と音を立てて、スローイングナイフが貴時の下半身を襲った。

「……!」

 無言で足をずらして、それをかわす貴時であったが、目標を外れたナイフは倒れてる雑魚の背中に突き刺さった。

「ギャ!!」

 そいつが一声呻いて、手をじたばたさせる。

「…こうなりたくなかったら、奴に襲い掛かれ!」

 声の主が高らかに叫んだ。まるで、最初から貴時ではなく仲間を狙ったかのようなセリフ……事実、彼は貴時がナイフを交わせるであろう事は予想していた。貴時を試したともいえるその行動。

「お前がリーダーか…」

 襲ってきた敵の側頭部を殴り飛ばしながら、貴時が言う。

 前線にいながら、自分は比較的安全な場所に身を置いている人物。その離れた距離からでも、ピストルが本物かどうかを見極めた洞察力。正確かつ鋭いナイフ攻撃。

 何よりその男が目立っていたのは、この黒人スラムのチームにおいて唯一人白人だったことだ。

 ここの連中は、白人を快く思っていないはずである。にも関わらずこいつは、そんな黒人達の中でトップに立った。

 年齢は14歳か15歳くらいだろうか。痩せ型で、背丈はごく普通。ブロンドの髪を、貴時と同じくらいの長さで切り揃えている。

 その貴族的で整った顔立ちの少年は、ともすればスラム街に似つかわしくない人間に見えるだろう。だが、人を襲うという状況を、確実に楽しんでいるその表情は、間違いなくジャンクキッズらしさが滲み出ていた。

「ああ、俺が『Bad Max』のリーダーだ。通称『ヘルカッター』……なんでもかんでも斬り刻んじまうからなー!!」

 再びナイフが貴時に投げられる。今度は本気だ。

 しかし、貴時は体を翻してそれを交わす。さすがに距離が離れているため、いかにリーダー…ヘルカッターであっても、隙の無い貴時に命中させる事は困難である。

 その距離約10メートル。ヘルカッターのナイフはほぼ確実にかわされるし、貴時でも一瞬で距離を詰める事が不可能な、ある意味でお互いの安全圏。実際、貴時はリーダーを倒せば勝つ事は容易だと考えていたが、距離を詰めようにも近付きあぐねていた。

 (ならば、勝つのは俺だ。)

 ヘルカッターが勝利を確信する。

「相手は二人だ。油断せずに、一気に襲い掛かれば勝てる!」

 指示を出すが、それでも、回りの連中はどこか躊躇している。

(チッ…)

 心で舌打ちするが、ヘルカッターの表情には余裕の笑みが浮かんでいた。

「なんだぁ、ひょっとしてピストルにびびってるのか?大丈夫だよ。あれは本物だが、あいつには撃てないさ。例え撃てたとしても一発だけだ。」

「……!!」

(見抜かれたか…)

 貴時がほんの僅かだが、動揺する。ヘルカッターの言ってることは本当だった。

「そうだよなぁ?お前、そんなハイパワーのリボルバー撃った事あるのか。今しがた『Gun-Smith』で仕入れてきたばっかりなんだろう。そんなの発砲してみろ、お前の腕がただじゃすまないぜ。ジョニーを倒す時も、撃たなかったのがその証拠さ。」

「………」

「ほらな。分かったら、とっととやれよっ。でないと、俺がお前らを殺すぞ!!」

 ヘルカッターの言葉に押されるようにして、集団が一気に貴時の方に雪崩れ込んで来る。

「ち…!」

 それでも貴時は、敵の暴力を掻い潜って、殴り、そして蹴り倒す。

「女の方にも襲い掛かれ!捕まえて人質にしろ!」

 リーダーの指示に従って、例の少女の方にも何人かが襲い掛かってくる。

「えー、ひょっとして私と遊んでくれるのー?」

 状況が分かっていないのか、嬉しそうに立ち上がる少女を、後ろから羽交い絞めにしようと男が迫る。しかし…
「い!?」

 突然目標を見失って、腕が空を切る。いつの間にか少女は、その場から離れた所に立っていた。

「わあ!鬼ごっこだね。いいよ。じゃあ、おっちゃん達(実際は十代だが)が鬼ねー。」

「ふざけんな!」

 もっともな意見を叫びながら、男は再び掴みかかろうとするが、少女はそれを次々に交わしていく。

「でも、つかまんないよ〜!キャハハ。」

「このガキ、チョロチョロと逃げ回りやがって!」

 端から見ても、鬼ごっこにしか見えない風景を見ながら、

「あいつに人質としての価値なんてないんだがな…」

 と貴時が呟いた。しかし、そんな意見を言っても彼らは信用しないだろう。

 ならば、今の状況はありがたかった。敵の何人かは少女の方に夢中になっているため、貴時を襲ってくる事は無いだろう。今の様子なら、少女がそう簡単に捕まる事は無さそうだ。なにより少女の意外な反射神経は、先ほどまで一緒に遊ばされていた自分がよく知っているのだ。

 だが、少女では体力がいつまでもつか分からない。ただでさえ、あれだけ貴時と遊んだ後だ。

(ま、どうでもいいか…)

 所詮貴時にとっては、あの少女は知り合いともいえない関係なのだ。生きようと死のうと、それは自分には関係ない。

 突如、貴時を鈍い衝撃が襲った。敵の拳が頬に掠ったようである。

 10人以上敵がいるといっても、同時に襲い掛かれるのは前後左右の4人がせいぜいだ。とはいえ、さすがに貴時でも、この数を捌ききるのは難しい。

「ぐ!」

 そんな貴時の左肩を、スローイングナイフが鋭く掠めた。

「この状況で、うまく交わしやがるな。」

 笑いながら、ヘルカッターが次のナイフを構える。あの少女は、貴時に隙を作るという役には立ってくれたようだ。

「休まず攻撃しろ!」

 部下が戦い続ければ、いかに貴時でも隙ができる。そこをナイフで仕留めようという、安全かつ確実なヘルカッターの策であった。

 部下の壁を越えて、貴時が自分に近付く事はまず無理。頼りのピストルは使えないだろうし、例え使ったとしても自分には「見て」交わす自信があった。ヘルカッターは、頭の中で勝利の方程式を導き出して、その顔に笑いを浮かべた。

 このままではやられると思った貴時は、これからの行動を選び即実行に移した。

 瞬時に身を屈めた貴時は左手で地面の砂を思いっきり握り、周りの連中に向かってそれを撒き散らした。狙いは顔、さらに言えば「目」である。

「きゃあぁ!」

「ぐ…ぐわぁあーー!」

「ぎゃあ!」

「い…痛ぇ…!」

「目潰し」の激痛に、思わず目元を押さえるジャンクキッズに向かって、貴時はすぐさま右手の武器を一閃した。

 ドガガガガァッ!!

 貴時の右手にはいつの間にか、鉄パイプが握られていた。その攻撃を受けて、周囲にいた4人の男女が倒れる。そこに出来た隙間を掻い潜り、包囲網を突破する。

 だが、その方向はヘルカッター達のいる前方ではなく、後方であった。唖然とするジャンクキッズを鉄パイプで牽制しながら、その場から素早く離れた。

「このサングラスも、意外に役に立つもんだな。」

 貴時は愛用のサングラスに手をかけて、ふとそんな言葉を漏らす。

 先ほど貴時が屈んだ際に、左手で握った砂と同時に右手で拾った鉄パイプ。そんな行動を先読みできた奴は周囲にいなかった。利用できるものを探して、貴時が視線を下に向けている事に気付かなかったからだ。

 目は口ほどにものを言う。このことわざどおり、目を見れば相手がどこを見てるかすぐに分かるし、ある程度までなら考えを読むこともできる。その視線を隠してくれるサングラスは、戦闘時にも有効だと気付かされた。もっともレンズが割れたら、目を傷つけかねないリスクはあるのだが…

 それにサングラスをしている限り、自分がやったように相手が砂による「目潰し」をしてきても、ほぼ無効化できる。

 だが、危機を脱した貴時が選んだ道は、攻撃ではなく戦場からの離脱、撤退、逃走。

「待ちやがれぇー!」

「逃がすと思うか!」

 後方からジャンクキッズの大声が聞こえてくる。

 このまま全力で走れば、ジャンクキッズに追いつかれる前にスラム街から脱出できるだろう。そうすれば、数日後には帰国する自分に、もう危険は及ばないと思われる。

 (だが、それでいいのか?俺は強くなるためにここに来たんじゃなかったのか。それが、あんなチンピラども相手に逃げる?時と場合によるが、確かに逃走も戦略としては有りだ。だが、今の状況。本当にこれで……)

 「いいわけねーだろうが!!」

 歩みを急に止めた貴時は、振り向きざま鉄パイプを敵の頭に見舞う。

「てめぇ!」

 次の敵は驚きながらも、木製バットを振り下ろしてきた。

 横に身を反らしながら鉄パイプでバットをはじくと、そいつの顔面に重い左フックが叩き込まれた。さらに鉄パイプで一撃加えてやる。そして、敵が倒れ始めると同時に、貴時はまた走り出した。

 追かけてくる連中の足の速さはまちまちで、だんだんとばらけてくる。そこを見計らって一人倒しては走り、また一人倒しては走る。

「クソ!あの日本人、うまい事逃げやがる。どうしてこの町の構造に詳しいんだよ!」

 ジャンクキッズの一人が憤慨する。ちなみに、町に詳しい理由は、あの少女と走り回っていたからなのだが、そんな事は知る由もない。

「ハァハァ…」

 しかし、段々と貴時の息があがってくる。所詮、小学生の体力には限界がある。

「追い詰めたぜ。」

 数人の男女が貴時に追いついてきた。

「フン…」

 鼻を鳴らすと、貴時は近くの細い路地へと駆け込んだ。

「馬鹿め。そこは袋小路だ!」

 意気揚揚と貴時の後を追うが、

バキ!

 駆け込みざまに鉄パイプが振り下ろされて、一人が戦闘不能になった。

「袋小路は百も承知だ。追い詰められたのはどっちかな?」

 貴時は襲ってくる敵を、次々とのしていく。

 行き止まりなら後ろから襲われる心配が無い。これだけ細ければ、横から敵も来ない。すなわち、前の一人にだけ集中できるのだから楽なものだ。

 ただ、鉄パイプを振り回すには、やや不向きな場所だ。それでも、貴時にとっては、そんな事はハンデにすらなっていないようである。だが…

「……!?」

ゴツッ!

 突如として頭上から落ちてきた石が、貴時の額を傷つけた。サングラスが割れて地面に落ちる。

「…これは…」

 上を見上げると、廃ビルとおぼしき建物の窓から、幼い子供達が顔を出していた。

「ヒ…ヒェ!」

 子供達は、睨むような貴時の目に恐怖を感じたようだが、続けて石を投げつけてきた。

「この!この!く…くたばれよ!」

「えい!これでどうだ!!」

「ヘルカッターが言ってたのって、あいつでいいんだよね?」

「東洋人だ。間違いないよ。」

「日本人は出て行け!」

 どうやら『Bad Max』の年少メンバーを、いくつかの建物に配置していたらしい。

「さすがに地の利を知ってやがる。それほど甘くは無かったか…」

 まだ倒せていない連中が、路地の入り口付近で笑いながら待ち構えている。このまま、ここにいたら石の的。出て行けば文句無しの集団戦闘。貴時に選択の余地は無かった。

「殺されても…文句は言うなよ。」

 路地の入り口へと一気にダッシュをかけた貴時は、先頭にいる男の右ストレートをかわして、そいつの喉へと鉄パイプを突き立てた。

「グ…グォボォ!ゴホゴボァ!!」

 そして、蹲って苦しむ男を、敵の集団に向かって思い切り蹴飛ばす。

「うぜえよ。」

 一声呟くと貴時は、態勢を崩した連中へと、鉄パイプを縦横無尽に振り回した。それでも攻撃してくる奴の顔に向かって、人差し指と中指を突き出した。貴時の指先にゼラチン状の、嫌な感触が伝わってくる。

「うっぎゃぁああぁーっ!!目が、目がぁ!」

 両目を抉られて喘ぐ敵を横目に、貴時が残り少ない『Bad Max』のメンバーに歩み寄る。

「かたわになりたい奴からかかってこいよ。」

 不敵に笑う貴時であったが、体力はかなり限界にきていた。そこへ…

「あれー?お兄ちゃん。こんな所にいたんだー。」

 と、例によって場をわきまえない声がした。ピョンピョン跳びはねながら、近付いて来る少女。どうやら、まだ無傷のようだ。

「相変わらず元気そうだな。」

 貴時は、ほとんど呆れながら言う。

「うん!お兄ちゃんは……疲れてる?」

 額から血を流している貴時の顔を、少女が覗き込む。

「全然、疲れてねーよ。」

 年下の少女よりも先にへばってしまっては、貴時としても決まりが悪いのか、必死に強がっている。

 そんな少女の後ろから、貴時と戦っていた連中が近付いてきた。

「邪魔だ、ガキはすっこんでろ!」

 払いのけようとしてきた腕を交わしながら、少女が掌で受け流した…途端。

 ビクッと男が仰け反り、無様に倒れて動かなくなった。

「……!!」

 貴時が目の前の光景に目を見張る。

「私が手伝ってあげようかー。」

 ニコリと笑いながら少女が言う。

「今の…お前がやったのか…」

「え…う…うん。そうだよ。」

 睨み付ける貴時に、戸惑いながら少女が答える。

「…手伝わなくていい。言ったろ、全然疲れてないってな。」

「うん!」

「それより、鬼が来たぜ。」

 貴時が指差した先には、10人ほどの部下を引き連れたヘルカッターが立っていた。さすがにその瞳からは、余裕が薄れつつあるようだ。

「おいおい、まだ二人とも健在かよ。お前ら、なにやってるんだ!」

「だ…だってよ…」

 リーダーの登場に、部下達も焦りと動揺を隠せない。

「そいつらは、ああなりたくないってよ。」

 貴時が顎で促した場所には、無残な姿のジャンクキッズが悶絶していた。

 血の海に沈んでる者。

 喉を潰された者。

 目を抉られた者。

 そいつらを一瞥すると、ヘルカッターは「フン」と鼻息を鳴らし、

「それがどうした。あいつにかたわにされるか、俺に殺されるか、二つに一つだろうが。……そうかそうか、お前ら俺に殺されたいんだな〜?」

 愉快な声を弾ませながら、ヘルカッターは右手に持ったグルカナイフを一閃させた。

 血飛沫が飛び散る。

 次の瞬間、部下の一人がドサッと倒れた。その体の下から流れてくる血の量は、かなり多く見える。ひょっとしなくても、死んでるかもしれない。

「ひ…ひ…ひいぃいぃい〜〜〜!!!」

 他の連中は、半分恐慌状態に陥っている。

「さあ、やるのかやらねえのか!!」

「…俺がやるぜ…」

 ヘルカッターの要請に答えたのは、この場に辿り着いたばかりのジョニーであった。

 その顔は、血に染まって真っ赤だった。

「よお、サブリーダー。まだ生きてたのか。」

 どこまでも楽しそうなヘルカッター。

「俺があいつをやる。誰も邪魔するなよ…」

「オーケー。よかったな、後の連中は女の相手だ。」

 部下達はその言葉に心底安心したように、嬉々として少女に襲い掛かった。さすがに数が多い。

(いくらあいつでも、この数は…)

 つい、視線がそっちにいってしまった貴時に、ジョニーのパンチが飛んでくる。

「ぐぁ!」

 小柄な貴時が吹っ飛んだ。今回の喧嘩で、初めて食らったクリーンヒットだ。

「てめえの相手は、俺だって言ったよなぁ!」

「く……!」

(むちゃくちゃ、重い…パンチだぜ)

 攻撃を受けた胸を、左手で押さえながら貴時が注意深く見ると、ジョニーは両手に石を握っていた。

(なるほど。ああすれば、確かにパンチは重くなるな…)

「鉄パイプはもう無いぜ。それとも、撃てるかどうかも分からないピストルを、俺に使ってみるか?」

 確かにもう貴時の右手に、鉄パイプは握られていなかった。

「お前なんかに使うかよ、勿体ねえ。」

「な…んだとぉ!」

 ジョニーの巨大な拳が貴時を連続的に襲うが、それらを全て紙一重でかわしていく。

「お前一人なら鉄パイプも必要無い。」

 貴時のアッパーカットがジョニーの顎を捕らえる…が、身長差があるためクリーンヒットには至らない。

 貴時とジョニー。二人の様子を見ながらヘルカッターが考え込む。

(ジョニーの奴はタフだし、油断しなけりゃそう簡単には倒れないだろうが、勝つのはあのガキの方だな。いかんせん実力差がありすぎるぜ……となると。)

 そして、少女の方に顔を向ける。

 相変わらず少女は、部下の攻撃を身軽にかわし続けていた。

 ただ以前と違うのは、部下が倒されている事である。

 少女はジャンクキッズの伸ばしてくる腕を、掻い潜りながら手で受け流す。すると攻撃を繰り出した方が一瞬痙攣して、その直後に動かなくなるのである。

 擦れ違う瞬間に、少女が手で触れた部下に関しても同様の事が起こっている。

(なんだ?妙な事をやってやがるな…。スタンガン…か。でも、あいつは何も持っていないみたいだ。だが、おそらく原因は「電気」だな。手に何か仕掛けてるに違いない。)

 自分なりの答えを出したヘルカッターは、ポケットから出したゴム製の手袋を、両手に嵌めたのであった。

 貴時の連続攻撃によって、ジョニーの体はもはや限界に近付いていた。貴時の攻撃は、威力自体はそこそこだが、確実に急所を突いてくる。

「どうした?偉そうなこと言ってた割に、もう終わりか。」

 ジョニーは信じられないものを見るように、貴時を見下ろした。見下ろしてるのは自分だが、見下しているのは目の前にいる年下の少年なのである。

 成長期の年齢差は大きい…はずだ。この少年はいったいどれほどの人生経験を重ねてきたというのか、それとも才能の差なのか。ジョニーはあまりの悔しさに、唇を噛み締める。

(俺は親に捨てられて、ボロボロになりながら生きてきた。この街で残飯を漁りながら野良犬のように、一日一日を必死で生き抜いてきた。そんな俺が、唯一振るう事が出来た力が「暴力」だ。「暴力」でここまでのし上がってきた俺が…俺が…)

「その暴力で日本人に負けるわけには、いかねえだろうがぁ!!」

 ジョニーの豪腕が振り下ろされるが、それすら貴時は当たる寸前でかわしてしまった。

「日本人から見れば、お前らの境遇は不憫なんだろうよ。……で、俺に同情でもしてもらいたいのか?」

「な…!?」

「生まれた国が悪くて、親に捨てられて、生きていく術が暴力しかない。俺より年下のガキどもも、女も、みんな形振りかまわず命がけだ。でもな…」

 貴時の拳がジョニーの鳩尾に埋まる。

「ぐふっ!」

「でもな…それがどうした!お前らの事情なんて関係ねえ。俺の知ったことか!」

 貴時の右ストレートがジョニーの顔面に決まった。本日4回目の鼻面攻撃である。ジョニーの体が崩れ落ちそうになるが、その胸倉を掴んで貴時が支えた。

「おい、まだ寝るには早いぜ。もし今度俺の前に現れたら、ただじゃおかないって言っといたよな?」

「…あ…ああぁ…」

 貴時は、なにごとか呻いているジョニーの体を自身から少し離すと、一気に勢いをつけて膝蹴りを叩き込んだ。しかも、股間に……

 スラム街に、言葉にならないジョニーの絶叫が響いた事は、言うまでもないだろう。あまりにも酷い叫びなので、割愛させていただきます。

 白目をむいた瞳から涙を迸らせながら、ジョニーが今度こそ地面に崩れ落ちた。口からは泡を吹いており、股間のあたりには生暖かい水溜りが出来ている。

「俺の忠告を、素直に聞かないからだぜ。」

 そう言って貴時は、髪を掻き上げたのであった。

 貴時がジョニーに連続攻撃を叩き込んでいる頃、少女は一足早く戦いという名の遊びを終わらせていた。

 少女の周りには10人以上のジャンクキッズが、重なり合うようにして倒れている。皆一様に訳の分からない「少女の攻撃」を受けた結果である。

 周囲を一瞥すると少女はにこやかに、

「やったー!全員やっつけたよー。……って、あれ?そんな遊びだったっけ。」

 なんてことを言ってのけてくれた。これでは、必死に襲ってきた敵達も、立つ瀬が無いというものだ。

「ん?」

 少女は急に足元の感覚がなくなった事に気がついた。体が宙に浮いている。いや、実際は体が持ち上げられているのだ。

「えぇー!」

 少女が足をじたばたと動かすが、まさに無駄な抵抗であった。

 気配を消して少女の後ろに回り込んだヘルカッターが、彼女の両手首を左手のみで掴み上げていた。いかに少女が軽いとはいえ、かなりの膂力である。

「どんなに身軽でも、一度捕らえちまえばこっちのもんだぜ。」

 ヘルカッターの言うとおり、少女の腕力自体は歳相応のものであった。

「こ…このぉっ」

 少女がヘルカッターを睨みつけるが…

「お、電気攻撃かい?無駄無駄。絶縁体の手袋の前じゃ、お前の力も意味をなさねえよ。」

 余裕綽々の態度で、少女に右手を近づけてくる。その右手に握られていたのは、コンバットナイフだ。

 音もなくそれを振り下ろすと、少女の身に着けているシャツのボタンが、いくつかちぎれた。シャツの隙間から覗かせた素肌を見ながら、ヘルカッターがいやらしい笑みを浮かべる。

「へへへ、あんまり暴れるとかわいらしい乳首を切り落としちまうぜぇ。」

 そう言ってヘルカッターがナイフの刃に舌を這わせた時に、ちょうどジョニーの絶叫が響き渡った。

「チ…ッ、あの馬鹿もう倒されやがったのか。」

 楽しみを邪魔されたヘルカッターは、悔しそうに舌打ちした。

「やったー。お兄ちゃんが勝ったー!……あ」

 今の状況も忘れてはしゃぐ少女の喉元に、ナイフの刃先が当てられる。

「黙ってろよ、ガキ!…おい、日本人!おまえのガールフレンドの命は俺が握ってる!!こいつ共々助かりたいんだったら…」

 貴時の背中にヘルカッターの声が届く。それだけで、状況はある程度理解できた。

 奴のセリフを最後まで聞く前に、右手が懐のスーパー・レッドホークに伸びる。

(こういう時に迷ってたら、状況は悪化する…)

 貴時の決断と同時の行動は早かった。

 振り向きながら拳銃を抜き、射撃体勢を整える。

 右手の人差し指を引き金にかけ、グリップの後方を支えるように左手を右手にそわせる。右足を軸に振り向きながら左足のスタンスを広くとり、反動による衝撃を手だけでなく体全体で受け止められるように、無駄な力を抜きボディバランスを保つ。

 すでに、視線は少女を盾にするかのように掴んで、いつでも殺せる態勢にあるヘルカッターに照準を合わせている。

 貴時が動作を開始してからわずかコンマ5秒である。とても初めて拳銃を撃つ子供とは思えぬ動き。何度もエアガンで繰り返した練習と、イメージトレーニングの賜物であった。

 …だがしかし、貴時は信じられないものを目にする事になった。こちらの動きに合わせるかのように狙いが逸れていく。否、こちらの動きを完璧に見切られているのだ。

 へルカッターの余裕の笑み。拳銃による修羅場を、幾度もくぐった経験から来る確かな自信。

(当たらない……)

 貴時の瞳には、全ての動きがスローモーションに感じる。笑いながら、レッドホークの狙いから体を逸らすヘルカッター。それを目で追いながらも追いつけない照準。どこまでも無表情な少女。

 もう限界だった。振り向きながら、すでに引き金に力を入れていたのだ。今更発砲を止める事は不可能である。この弾が当たらなければ、間違いなく負ける。

(くぅ…もうダメだ…!)

 その時、無表情だった少女が、ふと笑った気がした。それはなんとも言えないキレた笑顔だった…気がする。

 ズガァーーーーーン!!!!!

 スラムに鳴り響く、巨大な銃声。

 轟音と共に、凄まじい衝撃が貴時を襲った。

 急速に反転する視界の中で見えたのは、体を引きつらせたヘルカッター。崩れそうな廃墟のビル。どこまでも高く青い空。ゆっくりと流れる白い雲。そして、視界を埋め尽くしていく朱色の世界。

(あぁ…、どうやら俺の腕は千切れたな……)

 そんなことを思いながら、貴時は薄れゆく意識の中で、少女の声を聞いた気がした。

「あーあ、残念でした。手を使わなくても、私はこういう事出来るんだよー。」


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